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道真座乗の船を検討してみると、まずセガイに設けた水手の踏板が12人分であるから、少なくとも宣旨斗で250石(25トン)積という、準構造船形式にしては最大級にちかい船ということになる。ところが、船上の主尾形をみると、梁間1間、桁行3間の細長いもので、とくに梁間は船体の幅とあまり変わりがないのに1間しかなく、これによってこの船の幅は10尺(約3メートル)以下と推定される。このことから判断できる船底部は刳船部材から構成されるクスの複材刳船で、その寸法を仮定すると、全長は86尺(26メートル)、幅は8尺(2.4メートル)という長大なものとなるが、これとほぼ同じ大きさのクスの複材刳船(全長24メートル、幅2.1メートル)はかつて出土した例があるから、現実性のある数字である。それどころか、クスの巨材が豊富だった当時では、全長30メートル程度のものすら比較的容易に造り得たに違いない。
こうした船底部の両側に、二段に舷側板を設けて深い船体とし、積載量と耐航性の増大をはかるのだが、そうすると、全長は93尺(32.6メートル)で、深さは8.4尺(2.54メートル)となる。この船体で、満載状態での喫水を3.4尺(1.03メートル)、水線長を76尺(23メートル)とすれば、その排水量は約45トンとなり、積載量は約25トンつまり宣旨斗で250石積ということになるのである。これを図面にしてみると、挿図の復元推定図のような船となる。なお、12人の水手はセガイの上で櫓を漕ぐから、船内のスペースを全くとらず、積荷や乗客の邪魔にならないですんでいた。これなども幅の狭い準構造船形式のためにとらざるを得なかった方法であろう。この船を満載状態で12人が全力で漕ぐときは、約4.4ノット(時速8.2キロメートル)を出し、長時間の巡航では2.0ノット(時速3.7キロメートル)の速力で走れたと推定できる。しかし戦時ともなれば武士が乗り込む程度の極めて軽荷の状態にあるから、その排水量を約30トンとみると、スピードはもう少してることになるが、それでも水手を増さないかぎり、全力で5ノット(時速9.3キロメートル)を出すことは困難である。
以上、『北野天神縁起絵巻』の船をとり上げて、壇の浦合戦当時の大型輸送船の推定を試み、一応もっともらしい諸元を出し、復元図らしきものまで作成してみたが、これが厳密な意味での復元作業に相当しないことはいうまでもない。にもかかわらず、大胆にもここまでやってしまったのは、多数の絵画資科があれば関連資料を生かしてこの程度の復元的考察はできるということを知って頂きたかったからである。それが後世の絵画資料しかない遣唐使船の場合とは決定的な違いであり、かといって、これが復元に結びつけられるかどうかは、より適切で確実な資料つまり当時のこのクラスの大型船の偶然的発見にまつよりほかはないであろう。

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『北野天神縁起絵巻』による13世紀初期の大型海船復元推定図

 

 

 

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